2024年5月31日金曜日

「台湾有事」の可能性は低いが、油断は禁物。

 そもそも「台湾有事」という表現が曖昧であり、具体的にどのような状態を指すのかは分からない。「何が起きるかわからない」という議論は、「何も起きない」と安全を保証できない状況だからこそ必要になる。とはいえ、「何が起きるのか」不明なままでは、対応策も考えられない。

 「台湾有事」を考えるには、過去および現在の中国やアメリカ、台湾が何を考えているのか正確に理解する必要がある。また、彼らが見聞きしていること、恐れていることを理解する必要がある。

 中国は「台湾独立は、死につながる一本道」と「台湾独立の動き」を牽制し、中国軍の弾道ミサイル発射や、上陸作戦の演習を台湾側に見せつけてきた。そのため「台湾有事」に相当する中国語は「台海戦争」(台湾海峡戦争)になる。今日、民進党政権下の台湾政府は、現在の台湾海峡つまり中台間の状況を「グレーゾーン」と呼んでいるが、日本の尖閣諸島沖での「グレーゾーン事態」とは全く同じではない。中国は尖閣諸島沖に「海警」(沿岸警備隊)の巡視船を送り込んでいるが、台湾には戦闘機を差し向けて威嚇している。こうした状況を見て、アメリカ、バイデン政権のロイド・オースティン国防長官は「台湾侵攻の予行演習をしているように見える」と表現した。

 また、アメリカ海軍の関係者も「数年内に中国が台湾に侵攻する準備をしている」と警鐘を鳴らしている。ハリー・ハリスJr.以降歴代のインド太平洋軍(旧太平洋軍)司令官(何れも海軍大将)が同様の発言をしている。その中で特に注目されたのが、フィリップ・デービッドソン司令官の議会証言における「中国は6年以内に台湾侵攻の準備を整える」という発言であった(2021年3月)。この発言の背景には、2026年までに中国海軍が西太平洋で海上優勢(いわゆる制海権、海軍力の「バランス」の問題)を握るという危機感がある

 こうしたアメリカ軍関係者の発言も、実際は中国軍による「台湾侵攻」が迫っている証拠とは言えない。中国軍が「台湾侵攻」作戦を決行する可能性は、非常に低い。なぜなら、上(着)陸作戦は、中国軍にとって極めて危険な上、必要な海兵隊・海軍陸戦隊や強襲揚陸艦などで構成される水陸両用戦力が整ってないからである。また、中国の陸軍がどれほど強大であっても、「台湾侵攻」作戦に参加するには、艦船や航空機で台湾海峡を渡る必要がある。しかし、こうした艦船や航空機は台湾の軍隊に迎撃されるため、無事、台湾に着上陸するのは極めて困難である。

 そもそも、近現代の大規模な上陸作戦は多くが失敗している。第二次大戦におけるノルマンディー上陸作戦や、朝鮮戦争における仁川上陸作戦などの成功例は、例外である上、何れもアメリカ軍によるものである。また、偵察衛星やレーダーなどの索敵技術が発達した今日では、事前に察知されずに上陸作戦を決行することは、ほぼ不可能である。中国軍の部隊が台湾側の海岸に取り憑いて橋頭堡(拠点)を築き、後続部隊を次々に上陸させる可能性も低い。

 ロシアによるウクライナ侵攻も、中国の台湾侵攻を促す要因になるとは限らない。繰り返しになるが、ロシア兵がウクライナに行くのとは違い、中国兵は台湾まで容易に辿り着けない。また、ウクライナで露見した旧ソ連・ロシアの誘導・防空兵器(ミサイルなど)の問題は、これらを導入してきた中国軍にとっても憂慮すべき問題である。例えば、中国は国産の防空システムHQ-9を他国に輸出する一方、ロシアのS-400を購入している。つまり、S-400はHQ-9より高性能だと考えられる。しかし、このS-400も西側諸国やウクライナ製ミサイルを迎撃できず、何度も撃破されている。

 台湾はウクライナよりも近代的な空軍や海軍を保有し、その防空システムはイスラエルに近い水準、密度であるほか、国産の巡航ミサイルも配備する。つまり、台湾が中国軍の攻撃に持ち堪える可能性がある上、中国側も台湾からの反撃を受けて、自国の軍隊や主要都市、重要インフラに対する被害を覚悟する必要がある

 実際に起こり得る、つまり(技術的優位性を欠いたまま)海軍力の量的優位のみで仕掛けることが可能な「台湾有事」は海上封鎖か、離島の奪取にとどまる。台湾は福建省にある金門島や媽祖諸島のほか、南シナ海上の太平島や東沙島などを実効支配する。もし、中国軍がこれらの離島を包囲し、補給を完全に遮断する「兵糧攻め」を仕掛ければ、台湾は離島や駐留する守備隊を守りきれない。とはいえ、台湾の守備隊が頑強に抵抗して死傷者を出せば、台湾の世論が激しく反発し、台湾国内の親中派は国内での政治的立場を失う。あるいは、中国国民党の内部で「本土派」と親中派の対立が激化し、同党が分裂するかもしれない。何れにせよ、中国と台湾による「平和統一」の望みは、完全に絶たれる恐れがある

 また、アメリカも台湾を自国陣営に留めるため、台湾に同情しつつ、中国に厳しい姿勢を示す必要に迫られる。つまり、中国の包囲網を解くため、軍事介入を躊躇するわけにいかなくなる。また、欧州諸国も巻き込んで、「米中貿易戦争」よりも厳しい、対中経済制裁を発動する可能性もある。

 さらに、アメリカ国内の親台派(対中強硬派)が米軍の台湾派遣だけでなく、「台湾独立」の「承認」や米台の外交関係の復活を求める可能性もある。こうした中国側にとってのデメリットやリスクを増やすことで、中国が海上封鎖や離島の包囲(兵糧攻め)を抑止できる可能性も高まる。つまり、中国を猛反発させる「挑発」(に見える行為)も、実際は中国側に自制を強いる牽制効果を発揮する可能性がある。現時点でも、「中国が台湾を攻撃した場合には、援軍を送るだけでなく、米台の外交関係も復活するべきだ」という声は、アメリカ国内で拡大している。バイデン大統領も「台湾のことを決めるのは、我々ではない。台湾は自分のことを自分で決める。」と発言している。

 中国の脅迫を無視して台湾を訪問したナンシー・ペロシ下院議長(当時)についても、バイデン大統領は「私には止められない」と述べた。確かに大統領には下院議長の行動を制約できないのは、当然のように思える。しかし、本当に軍や大統領が危険だと判断すれば、軍用機の使用を拒めるはずである。むしろ、バイデン大統領には、本気でペロシ議長を止める気などなかったのかもしれない。

 また、ペロシ下院議長を乗せた要人輸送機はマレーシアを離陸後、太平洋側に大きく迂回した。南シナ海上空を通るルートの倍近い時間をかけて、台湾まで飛行した。太平洋では空母や強襲揚陸艦(事実上の軽空母)や米軍機が展開して、護衛にあたった。つまり、バイデン政権やアメリカ軍は、中国軍がペロシ議長の搭乗機を追跡する可能性を認識しつつ、敢えて輸送任務を引き受け、アメリカ軍の実力を中国に見せつけたのである。

 バイデン大統領の発言やアメリカ側の「挑発」は、こうした軍事行動と合わせて、その意図や効果を考える必要がある。アメリカ軍が西太平洋での「戦力投射能力」つまり、自国本土から遠い場所で大規模な軍事行動を実行できることを見せることで、アメリカ側の中国に対する「挑発」は、むしろ中国側こそ「自制しなければ、不都合なことが起きる」という脅しになる。こうした脅しが「台湾有事」を抑止する(相手に圧力をかけて、その動きを止める)ことに繋がるのである。

 ただし、アメリカの要人輸送機が南シナ海を避けたことは事実である。南シナ海には中国の海南島からミサイル原潜が直接潜り込める深海がある。そのため、中国は、人工島と航空基地や軍港を作って、南シナ海の聖域化を図っている。台湾も南シナ海問題の当事国の1つであり、台湾問題と南シナ海問題も密接に関連している。

 また、現在のアメリカ海軍は台湾海峡にイージス艦(駆逐艦、巡洋艦)などを派遣しているが、空母は派遣しなくなった。何れも当然の措置だが、中国軍の強大化も事実であり、対するアメリカのインド太平洋軍、太平洋艦隊も戦力を増強する必要がある。

 2021年のデービッドソン司令官の議会証言は、海軍予算獲得の目的もあり、やや誇張気味に聞こえる。しかし、本当に「誇張」だとも言い切れない。米海軍の増強には、アメリカ国内の造船所不足という大きな課題がある。この問題が解決できず、軍艦不足が続くなら、航空戦力(戦闘機と空対艦ミサイル)や、地対艦ミサイルで補うしかない。

 つまり、「比較的穏便な方法」で中国を牽制するのは難しいより攻撃的な手段で中国を脅すしかない。なお、高速で空を飛ぶ戦闘機が水面を低速で航行する軍艦を牽制することは不可能でないにせよ、やはり「穏便な方法」はないだろう。そう考えると、米中の偶発的衝突を懸念する必要性は確実に高まっている。ただし、軍事衝突が台湾海峡で起きるとは限らない。本当に深刻なのは、南シナ海であろう。