2012年は、アメリカのオバマ大統領、中国の胡錦濤国家主席、台湾の馬英九総統など多くの国で指導者が交代する年だといわれる。国ではないが、香港でも行政長官が交代する予定である。しかし、まだ立候補者すら確定していない状態である。
香港の行政長官選挙は、選挙委員会による間接選挙で選出される。この選挙委員会も、選挙で選ばえるのだが、その投票券を持つのは香港でも1割程度しかいない という制限選挙である。さらに行政長官の選出は香港での選挙で行われるものの、その後、改めて中央政府(国務院)により任命されることになっている。これ は香港基本法第45条に定めがある。しかし、選挙で選んだのに、別の任命者がいるというのは、不思議な話に思われるだろう。「君臨すれども、統治せず」の 立憲君主制における君主や共和制といっても形式的な役割のみの大統領が任命者なら、その行為は文字通り形式的であり、選挙結果に従うことが当然に期待され る。
ところが、香港行政長官を任命するのは、行政機関としての権限を握る国務院なのである。もし、中国当局の意向にそぐわない当選者が出れば、任 命されないのか?という疑問が湧くが、その答えはわからない。ただ、確実に言えるのは、そういう疑問、いや心配を香港の人々もせざるを得ないということで ある。そのため、立候補したいとおもう政治家は、慎重に行動し、中央政府の意向や選挙委員会の多数を占める財界や左派の評判を気にせざるを得ない。これ ば、立候補者の見通しが立ちにくい原因の一つである。
とはいえ、中央政府がいっそのこと、誰を支持すれば、他の候補者は諦めてしまうだろ う。選挙委員会の委員たちも、逆らい難い。実際、初代行政長官の董建華の時はそうだった。しかし、今回はそういう動きがないわけでもないが、まだ中央政府 の意向は明確に示されていない。推測だが、香港は完全な民主化、つまり今のような制限的な選挙制度をやめ、原則としてすべての選挙を普通選挙で行うことを 目標としているが、現在は過渡期にある。しかし、今までが制限選挙で、インチキ民主主義などと言われることもあったので、具体的な議論をすると摩擦が生じ る。完全な民主化に至る前に、一度、暫定的な民主化を行う事になっている。これも2006年に民主派が反対したため一度否決され、2010年にようやく民 主派の一部である民主党が妥協して成立したが、実は民主党内部でも妥協すべきか、激しい論争も行われ、離党者も出ている。こうした緊張した雰囲気を考える と、中央政府も昔のように早々と希望の候補を明らかにしにくいのだと思われる。
では、全く見通しがないのかといえば、そうでもない。最近、范徐麗泰(リタ=ファン、女性)という元立法会主席で、全国人民代表大会の香港代表が急浮上している。彼女は上海出身で、財界・保守派に近い人物であ る。返還前には行政局非官職メンバーを務め、保守派政党である自由党の前身「啓聯資源中心」のメンバーでもあった。その意味では元親英派であるが、多くの 元親英派と同様、中国当局に接近した。返還準備過程では中国当局が設置した準備委員会およびその予備工作委員会や第一期政府推選員会を務め、董建華行政長 官を支持した。また臨時立法会主席に就任した。
このように主な経歴だけを見ると、彼女は中国当局のお覚えがめでたい親政府派の権化のよう な人物だが、実は民主派からの評判も悪くない。そもそも啓聯資源中心および自由党は財界・保守派と言っても、普通選挙の実現を前提にして活動している政党 である。その意味では、彼女は穏健は保守派といえるだろう。実際、彼女は立法会主席として可能な限り中立的な態度を採るよう努力していた。そうしたことか ら、民主党は2010年に民主化の前進のため、中国当局に談判を試みたが、真っ先に中国当局との仲介役を彼女に頼み、彼女も協力する意思を示した。
た だし、気がかりなのは彼女が2003年に香港市民の大反発にあった基本法第23条の立法化(国家安全条例)を目指すと言い始めたことだ。中国当局からすれ ば「23条の中に、国家転覆などを違法行為とすることを香港に義務づけている。いずれ、立法化を行うのは当然。」だと考えている。
また、次期行政 長官の任期は2012年から2017年である。この間に、既に決定された暫定民主化を実施し、その次のステップである普通選挙の全面実施を2017年に実 現させるという課題に取り組む必要がある。おそらく、中国当局は普通選挙の全面実施と、23条の立法化をセットで考えているのかもしれない。
しかし、幾ら、范徐麗泰の評判がよいと言っても、実際に23条の立法化に着手すれば、反対の動きが強まり、議論が白熱することは目に見えている。そのため、彼女は行政長官を1期だけ務め、すぐに引退するつもりではないのかと言う見方もある。
実 は彼女は既に65歳で、過去にガンを煩ったこともあって、健康に不安もある。また、彼女が急浮上するまで、唐英年政務司司長や梁辰英行政会議非官職メン バー・招集人が潜在的な行政長官候補とみられてきた。梁辰英は財界人だが、董建華と同様、あるいはそれ以上に中国当局と親密な人物で、返還前後から将来の 行政長官と見られてきた。それ故に、市民の人気は今ひとつである。唐英年は自由党出身で、従来、比較的民主化にも肯定的と見られてきた。しかし、2010 年の暫定的な民主化案に反対した「80後」と呼ばれる若年層に批判的な発言を繰り返すようになった。このように、彼女よりも若く、有力とされた潜在候補の 人気が振わないため、つなぎの行政長官として彼女が注目され始めたのである。
その後
范徐麗泰は結局、立候補せず、香港行政長官選挙は唐英年と梁振英の一騎打ちに。そして、2012年3月25日に香港行政長官選挙の投票が行われ、梁振英候補が当選した。
おしらせ
本記事の続きとなるレポートを『ワールドトレンド』8月号に掲載予定です。