2011年5月30日月曜日

ECFAの謎?

ECFAとは、ご存知のように台湾と中国が2010年6月に締結した自由貿易協定(FTA)である。

でも、正式名称は2つある。台湾は両岸経済合作架構協議、中国は両岸経済合作框架協議としている。
英語訳は、Economic Cooperation Framework Agreement
ちなみに、日本語に訳せば、両岸経済協力枠組協議。
もし英語から両岸経済協力枠組協定と訳しても、間違いではない。
とはいえ、ECFAの正文は中国語であること、中国語でもagreementは「協定」なのに、わざわざ「協議」としていることには、留意すべきである。

中国語の正式名称が二つあったり、中国語と英語訳が異なるのは、政治的妥協の産物である。
ただし、中国語名称が2つあっても、これらは大した違いがない。(たぶん)
問題は中国語と英語の違いである。
中国は「一つの中国」原則、つまり台湾は「中国の一部」だと言いたい。
台湾は馬英九政権といえども、そう言ってしまうと、国内世論の反発を買うので、避けたい。
むしろ、FTAはWTOに基づいて締結した協定だと言いたい。
そこで、ECFAの正文である中国語文書では協議としつつ、WTOに通報するための英語訳では「協定」としたのだ。

では普通のFTA(自由貿易協定)と「両岸協議」であるECFAは、双方の国内法令において同じものなのだろうか?
答えはNoである。

まず、台湾側の事情にそって説明しよう。
台湾でも基本的にFTAは条約である。
つまり、政府が調印し、議会(立法院)が批准する。
陳水扁政権時代に台湾と国交のある中南米諸国とのFTAでは、こうした手続がとられていた。
しかし、ECFAは台湾の法制上、条約ではなく、「両岸協議」として扱われる。
この「両岸協議」の定義は、両岸人民関係条例という法律の中に定めがある。
そのなかに色々書いてあるが、基本的には行政取極のようなものである。
しかし、立法院は両岸協議の中身が気に入らなければ、一部の条項、あるいは協議の全部を拒否することはできる。
もし、立法院が拒否しなければ、両岸協議は発効することになる。

ちなみに、条約は立法院が批准しなければ、発効しない。
立法院での審議が遅れれば、条約の発効も遅れる。
しかし、「両岸協議」の場合は、立法院の審議が遅れても、勝手に発効してしまう。
これが条約と両岸協議の決定的な違いなのである。
中国側でも、やはり台湾との両岸協議は条約として扱われていない。
中国でも条約は議会である全国人民大会の常務委員会(全人代常務委)での批准手続きが必要である。
中国が台湾と香港、マカオ以外と締結したFTA(ECFAおよびCEPA)は、条約として発効するのに批准手続きを要した。
しかし、台湾との「両岸協議」や香港、マカオとの「按排」の発効に批准は必要ない。
ちなみに、CEPAは「按排」(Arrangement)であり、香港やマカオの議会(立法会)でも批准手続きを要しないばかりではなく、拒否権もない。
立法会で説明や議論はしたものの、発効に必要な、あるいはそれを拒否するかどうか決めるための審議は行われなかった。
また、CEPAの場合、英語名称ですらarrangement を採用している以上、これを「協定」と訳してしまうのは、間違いである。
たしかに、多くの新聞や経済の専門家もCEPAの邦訳に「協定」を使っている。
彼らは政治や法律の専門家ではないから、この問題に無頓着なだけである。
いずれにせよ、間違いは間違いである。

以上が、ECFAの法的な性格についての説明である。

それにもかかわらず、ECFAは立法院で批准されたとか、批准のための審議を行ったと新聞に書いていた。
日本の新聞だけでなく、台湾の新聞でも、そういう書き方をしてしまった ようだ。
しかし、これも間違いである。
実際には、立法院においてECFAを逐条審議した結果、異議なしとなったのだ。
これは、民進党がECFAのすべての条項にクレームを付け、逐条審議に持ち込んだものの、多数議席を握る国民党が民進党の動議をその都度否決したのである。
もし、民進党が何も文句を言わなければ、国民党は「ECFAに文句ありますか?ないですね?じゃぁOK」という形にしたかったらしい。
いずれにせよ、ECFAは批准されたのではなく、拒否されなかったというべきである。

あと、新聞報道で混乱があるのが、ECFAの発効した時期だ。
2010年9月なのだろうか。それとも、2011年1月なのだろうか。
答えは、2010年9月である。
じゃぁ、2011年1月 というのは、一体なんなのか?
これは、ECFAに基づく関税譲許、要するに関税率の削減などを実施したのが2011年1月なのだ。
ECFAには、関税譲許の他にもいろいろな条項がある。これらは、2011年1月を待たずに有効となった。

次期香港行政長官は誰か?

2012年は、アメリカのオバマ大統領、中国の胡錦濤国家主席、台湾の馬英九総統など多くの国で指導者が交代する年だといわれる。国ではないが、香港でも行政長官が交代する予定である。しかし、まだ立候補者すら確定していない状態である。

香港の行政長官選挙は、選挙委員会による間接選挙で選出される。この選挙委員会も、選挙で選ばえるのだが、その投票券を持つのは香港でも1割程度しかいない という制限選挙である。さらに行政長官の選出は香港での選挙で行われるものの、その後、改めて中央政府(国務院)により任命されることになっている。これ は香港基本法第45条に定めがある。しかし、選挙で選んだのに、別の任命者がいるというのは、不思議な話に思われるだろう。「君臨すれども、統治せず」の 立憲君主制における君主や共和制といっても形式的な役割のみの大統領が任命者なら、その行為は文字通り形式的であり、選挙結果に従うことが当然に期待され る。
ところが、香港行政長官を任命するのは、行政機関としての権限を握る国務院なのである。もし、中国当局の意向にそぐわない当選者が出れば、任 命されないのか?という疑問が湧くが、その答えはわからない。ただ、確実に言えるのは、そういう疑問、いや心配を香港の人々もせざるを得ないということで ある。そのため、立候補したいとおもう政治家は、慎重に行動し、中央政府の意向や選挙委員会の多数を占める財界や左派の評判を気にせざるを得ない。これ ば、立候補者の見通しが立ちにくい原因の一つである。

とはいえ、中央政府がいっそのこと、誰を支持すれば、他の候補者は諦めてしまうだろ う。選挙委員会の委員たちも、逆らい難い。実際、初代行政長官の董建華の時はそうだった。しかし、今回はそういう動きがないわけでもないが、まだ中央政府 の意向は明確に示されていない。推測だが、香港は完全な民主化、つまり今のような制限的な選挙制度をやめ、原則としてすべての選挙を普通選挙で行うことを 目標としているが、現在は過渡期にある。しかし、今までが制限選挙で、インチキ民主主義などと言われることもあったので、具体的な議論をすると摩擦が生じ る。完全な民主化に至る前に、一度、暫定的な民主化を行う事になっている。これも2006年に民主派が反対したため一度否決され、2010年にようやく民 主派の一部である民主党が妥協して成立したが、実は民主党内部でも妥協すべきか、激しい論争も行われ、離党者も出ている。こうした緊張した雰囲気を考える と、中央政府も昔のように早々と希望の候補を明らかにしにくいのだと思われる。

では、全く見通しがないのかといえば、そうでもない。最近、范徐麗泰(リタ=ファン、女性)という元立法会主席で、全国人民代表大会の香港代表が急浮上している。彼女は上海出身で、財界・保守派に近い人物であ る。返還前には行政局非官職メンバーを務め、保守派政党である自由党の前身「啓聯資源中心」のメンバーでもあった。その意味では元親英派であるが、多くの 元親英派と同様、中国当局に接近した。返還準備過程では中国当局が設置した準備委員会およびその予備工作委員会や第一期政府推選員会を務め、董建華行政長 官を支持した。また臨時立法会主席に就任した。

このように主な経歴だけを見ると、彼女は中国当局のお覚えがめでたい親政府派の権化のよう な人物だが、実は民主派からの評判も悪くない。そもそも啓聯資源中心および自由党は財界・保守派と言っても、普通選挙の実現を前提にして活動している政党 である。その意味では、彼女は穏健は保守派といえるだろう。実際、彼女は立法会主席として可能な限り中立的な態度を採るよう努力していた。そうしたことか ら、民主党は2010年に民主化の前進のため、中国当局に談判を試みたが、真っ先に中国当局との仲介役を彼女に頼み、彼女も協力する意思を示した。


た だし、気がかりなのは彼女が2003年に香港市民の大反発にあった基本法第23条の立法化(国家安全条例)を目指すと言い始めたことだ。中国当局からすれ ば「23条の中に、国家転覆などを違法行為とすることを香港に義務づけている。いずれ、立法化を行うのは当然。」だと考えている。
また、次期行政 長官の任期は2012年から2017年である。この間に、既に決定された暫定民主化を実施し、その次のステップである普通選挙の全面実施を2017年に実 現させるという課題に取り組む必要がある。おそらく、中国当局は普通選挙の全面実施と、23条の立法化をセットで考えているのかもしれない。
しかし、幾ら、范徐麗泰の評判がよいと言っても、実際に23条の立法化に着手すれば、反対の動きが強まり、議論が白熱することは目に見えている。そのため、彼女は行政長官を1期だけ務め、すぐに引退するつもりではないのかと言う見方もある。

実 は彼女は既に65歳で、過去にガンを煩ったこともあって、健康に不安もある。また、彼女が急浮上するまで、唐英年政務司司長や梁辰英行政会議非官職メン バー・招集人が潜在的な行政長官候補とみられてきた。梁辰英は財界人だが、董建華と同様、あるいはそれ以上に中国当局と親密な人物で、返還前後から将来の 行政長官と見られてきた。それ故に、市民の人気は今ひとつである。唐英年は自由党出身で、従来、比較的民主化にも肯定的と見られてきた。しかし、2010 年の暫定的な民主化案に反対した「80後」と呼ばれる若年層に批判的な発言を繰り返すようになった。このように、彼女よりも若く、有力とされた潜在候補の 人気が振わないため、つなぎの行政長官として彼女が注目され始めたのである。

かなり危ない台湾原発の立地

日本では未だ福島第一原発事故の後始末のめどがたっていない。この事故で世界各国では、原発の是非についての議論が活発化している。日本の原発に立地につ いて海外と比較して、地震頻発地帯にあるとか、首都圏のような大都市圏から近すぎる、1個所にいくつもの原子炉が密集しているなどの批判もあるようだ。し かし、こうした事情は台湾も同じである。いや、もっと酷いかも知れない。

台湾は日本の九州ほどの国土で、原発は3個所ある。そして、現在 4番目の原発(第4原発)が完成に近いとことまでこぎ着けている。この第4原発の是非を巡っては、2000年に民進党の陳水扁政権が誕生したときに、工事 を続行するかどうかで、当時の野党国民党ともめたことを記憶している人もいるだろう。民進党は議会である立法院の多数を占めておらず、結局、陳水扁政権が 折れて、工事は続行された。

肝心の台湾の原発立地だが、工事中の第4原発を含め、3つが新北市(旧台北県)にある。そう、事実上の首都である台北の隣なのだ。特に第1と第2は、台北市と目と鼻の先にある。万が一事故が起これば、首都圏は大混乱するだろう。これはかなり危ないと言わざるを得ない。
ちなみに、残りの1つ(第3原発)は、屏東県という南端の所にある。この隣は台湾第2の都市圏、高雄市だ。ただ、第3原発から高雄市の中心部(旧高雄市)までは、少しだけ距離はあるが。。。
維基百科 臺灣發電廠列表
台灣電力 電力系統圖

当 然、台湾では福島の事故の後、原発を巡る議論に火が付いている。今の馬英九政権は基本的に原発推進派であった。一番古い第一原発についても、古い原子炉の 延長使用を考慮していたが、今回の事故を受け、これを撤回した。近いうちに、第2原発の原子炉にも耐用年数を迎えるものが出てくるが、これについても延長 使用はできないだろう。そして、完成間近の第4原発については、今後商用稼働させるかどうか、議論になっている。

馬英九政権はひとまず、 「安全性を徹底的に確認できるまでは第4原発を商用稼働させない。」と言っている。ただし、逆に考えると、安全なら稼働させたいということだろうか。いず れにせよ、来年1月には総統選挙と立法院選挙がある。もし、民進党政権が誕生すれば、再び第4原発計画の中止が俎上にのぼるのだろうか。立法院が国民党多 数なら、陳水扁政権時代の繰り返しというシナリオになる可能性が高い。民進党が立法院の多数議席を握れば、今度こそ本当に中止されるかもしれない。

た だ、既存の原発で寿命を迎える原子炉が出てくる以上、どちらが政権についても台湾の原発の発電力は低下を免れない。それは、台湾全体の発電力が減ることを 意味する。その時、完成している新型原子炉を動かさないで済むのだろうか。台湾の電力需給がどうなってるのか分らないので、何とも言えないが。。。